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1週間前の今日

 投稿者:tera  投稿日:2010年 8月 7日(土)19時24分1秒
返信・引用
  ばあちゃんが亡くなった。
あと2時間でその時間になる。

葬儀からまだ5日しか経っていないが、今日になってようやく少し
元気が出てきた。

建設所やサイトへ行き来に使うマイクロバスの中で昨日まで
毎回思い出しては感傷的になっていた。
今週の月曜の葬儀で、ばあちゃんを乗せて実家と火葬場へ向かう
霊柩車をマイクロバスで追いかけていた風景を。。
しかし今日はそれほど感傷的にならずに済んだ。

これが来週の月曜になれば、仕事に集中出来る位に元気になるのかな?

でも仕事のためにこの喪失感を無理やり振り払おうとは思わない。
自然に回復するのを待つ。個人の価値観次第だと思うが、仕事とばあ
ちゃんを失ったこととを天秤にかけたくない。

じいちゃんばあちゃんは、これでいなくなってしまった。
前回は、自分が小学校6年生の時の母方のばあちゃん。
前々回は、小学校1年生の時の父方のじいちゃん。
母方のじいちゃんは自分が生まれるはるか昔に亡くなっている。

身内の葬式はガキの頃しか経験してなかったので、今回は葬式の
何たるかを少しは疑問を持ち、調べたり、葬式の進行をじっくりみたり
して、少しはわかってきた様な気がする。。
49日やお盆が何なのかようやく分かった。。
これまで何も知らなかったな。。。

いや~、やっぱりちゃんと定期的に実家へ顔を出して、
親の顔を見ておくべきだな、と思ったね。。
でないと、後でかなり後悔しそうな感じがする。

都会に住んで仕事に追われていたら、どんどん人間らしく
なくなっていくからね。。
 
 

ばあちゃんの思い出

 投稿者:tera  投稿日:2010年 8月 5日(木)23時06分6秒
返信・引用
  といっても数える位しかない。

今、職場に戻って2日過ぎたが集中出来ない。
ばあちゃんを亡くした悲しみがまだ強く残っている。
死んでから5日。最後の別れから4日。
葬儀での姿、霊柩車のクラクションが仕事中も頭に蘇って
きては泣きそうになる。。

ここでは、数少ないばあちゃんの思い出を吐き出したい。
自分が次へ向かう為と、ばあちゃんの記憶をいつまでも忘れない為に。

一番古い記憶は、3歳の頃、じいちゃんばあちゃんが静岡に来て、家族と
一緒に伊豆半島へ旅行にいったこと。自分は保育園に入る前だった。
この時はじいちゃんの記憶が強い。自分の前ではやさしかったじいちゃん。
母親の話では、じいちゃんはおやじには滅茶苦茶厳しかったらしい。。

次は、5歳の頃、家族で九州へ行ったとき。
この時もあまりばあちゃんの記憶は鮮明ではないが、かすかに覚えている。
特に思い出というものはない。

次は、6歳の夏だったか、家族で九州へ行った時。
覚えているのは、交通事故で入院したじいちゃんの見舞いで病院へ
いっしょに行った事。この時、病院でばあちゃんはおかしを買って
くれてうれしかったのを覚えている。やさしいなと。。

次は、6歳の冬、おやじと2人で車&船で九州へ行ったとき。
この時ばあちゃんはお年玉を5万円くれた。かなりうれしかった記憶が。
「や●し持って行け」と、おやじにバレないように、白い半紙で包んだ
5万円をくれた。
またこの時、じいちゃんが病院から一時的にばあちゃんの家に戻ってきた。
その時のばあちゃんは特に悲しさを見せず、明るく振舞っていたのをかすかに
覚えている。

7歳の春、じいちゃんが死んだ時に九州へ行った。この時、ばあちゃんの
記憶は残っていない。おやじが葬式中、険しい目でいたことしか覚えていない。

この夏と、8歳の冬にも九州に行ったが、特にばあちゃんの強い記憶は残って
いない。ただ、自分も年をとるにつれて、九州の家族を束ねる強くてやさしい
ばあちゃん、という印象が少しずつ強くなっていった。

10歳の冬にも家族で九州へ。この時自分はガラスを割り、えらそうな暴言を
みんなが集まった食卓で吐き、いとことは喧嘩し、今でもやり過ぎたなと思う。
ばあちゃんも内心怒っていた感じ。ばあちゃんのお年玉も三千円と今までで
一番少なかった。この時は反省した。
この時、おやじがアメリカに転勤になるかも知れない、という話を初めて
聞いた。この時は、まさかと思っていたのだが。。

次は、自分は直接会っていないが、11歳の頃、おやじが渡米する前に
静岡に来た。このときの様子は母親からきいた。それ以降、生きておやじ
に会える機会は無いと考えたのだろうか、涙を流していたとのこと。
この話は強く記憶に残っている。
あの強いばあちゃんが。。

次の記憶は14歳の冬。自分たち家族がアメリカから一時帰国した時に
おやじと2人で九州に行ったとき。この時もそれほどばあちゃんに関して
強い印象は無く、いつもの強くてやさしいばあちゃんだったのだろう。
ただ、家を仕切る大黒柱という印象がより強くなったと思う。

次は18歳の夏、家族で九州へ行ったとき。この時は、家を建て替えた
ことの方が印象が強く、ばあちゃんの強い記憶は無い。

次は22歳の春。いとこの結婚式で。めでたい日だったのだろう、
ばあちゃんは明るく、強く、やさしい印象が残っている。
また、自分の成長を喜んでくれたような印象が残っている。
「おぉ、や●しか!」と。

次は24歳の夏。修士課程2年の時、学会の帰りに1人で九州へ寄ったとき。
この時、最初ばあちゃんは、同い年のいとこと間違えた。
「おぉ、や●しか!」と。この時、自分とおやじの関係を少し心配していた
ような記憶が。。なにかおやじから聞いていたのだろう。

これ以降、ばあちゃんには会っていなかった。
2003年にもう一人従姉が結婚したが、この時自分は行けなかったので、
親戚の中で自分だけばあちゃんに会えなかった。この時までばあちゃんは
元気だったようなので、今思うと残念でならない。

最後に会ったのは、87歳のばあちゃん。
2006年前後に、ボケが進行して俳諧するようになったので施設に入った
と聞き、2009年頃、つまり自分がうつ病と仕事で苦しんでいた頃、もう
先は長くないだろうと聞いていた。

9年間のうち、一度でも会っておけば、、、と後悔の念がある。
何度かチャンスはあったはずなのに。

とにかく自分にとって、強く、やさしく、明るいばあちゃんだった。
九州の食卓で、親戚が一同に会した時、ばあちゃんがいつも真ん中で
少し満足気に座っていた記憶が残っている。
子供、孫に囲まれて満足気なばあちゃんの姿が一番良かったな。

遠くて滅多に会えなかったので、他のいとこ達とは違ってばあちゃんに
気軽に話しかけたり、わがままを言ったりは出来ず、それまでばあちゃん
という存在が自分の中で定義出来なかったけど、
死んでしまった今、間違いなく自分のばあちゃんだった、という実感がある。

霊柩車がばあちゃんの家の前で最後の別れのクラクションを鳴らした時、
自分が見たわけではないけど、何故かこれまでばあちゃんがあの地で強く
たくましく暮らしてきた風景が走馬灯のようによぎった感じがした。

自分はばあちゃんほど強くないけど、眠っているばあちゃんに最後誓った
ように、なるべく早く自分の家族を持って親孝行出来るように、頑張って
生きていきます。ばあちゃん見守っててくれ。

そして、今まで長い間お疲れ様でした。安らかに眠って下さい。
 

続2

 投稿者:tera  投稿日:2010年 8月 4日(水)23時25分11秒
返信・引用
  ばあちゃんの死に顔はきれいだった。
自分の知るばあちゃんは顔にしわだらけだったので、自分の記憶の中の
ばあちゃんとなかなか結びつかなかった。

それもそうだ、最後にばあちゃんに会ったのは、2001年の夏だったから。
約9年前だ。その時は修士2年で、新日鉄に学会で来て、1人で直方に寄った
んだっけ。

この時ばあちゃんは、自分を同い年のいとこと間違えてたな。懐かしい。
ちょっとボケてたかも知れないが、まだ元気だった。
この時自分は、ばあちゃんに自然と敬語で話してたな。

到着したその日は、ばあちゃんが死んでしまったという実感が
まだ無かった。宴会で、親戚みんな明るく話してたし。。
自分も陽気に笑いながら、仕事のことやおもしろいことなど話しては
突っ込まれ、結局ここでもいじられキャラなんだなと思いつつ、同じ部屋で
ばあちゃんが眠っていると思えないほど、親戚の同窓会って感じの宴会に
なっていた。。
結局自分は、朝の3時半くらいまでいとこと仕事の話をしておきていた。

朝7時前に目が覚めた。うっすら目を開けると何人か既におきている様子。
昨日とは打って変わって暗い雰囲気。おばさんは、ばあちゃんの棺の前で
無言でうつむいていた。

だんだん自分もばあちゃんが死んでしまったんだ、今日の葬儀で最後の別れ
なんだ、という実感が徐々に沸いて来た。

昨日まで葬儀の準備や通夜、宴会等で疲労しているのもあるだろうが、
みんな口数が明らかに少なくなっていた。自分も自然と無口になる。

午後1時から葬儀が始まり、進行するにつれ、より悲しみが深くなってくる。
葬儀の終盤、ばあちゃんの棺に花を沿え、最後の別れという時になって、
自分は悲しみが一気に溢れてきて号泣してしまった。。

霊柩車へ棺桶を運び、霊柩車にはおやじが乗り、自分たちはバスで後を追った。
火葬場へ向かう途中、ばあちゃんの家の前で霊柩車が止まり、さよならを告げる
クラクションを鳴らした。悲しい音だ。今思い出してもあれは泣ける。
バスの中でおばさんも号泣していた。

そのまま火葬場へ到着。葬儀場もばあちゃんの家も火葬場も近く、
葬儀場から火葬場まで5分程で着いた。

火葬場は、じいちゃんの時とおそらく同じ場所。だが、だいぶ新しくなって
いる感じがした。火葬場でも最後の最後のお別れ。線香をあげ、顔を一目見て
お別れ。涙はやんだが鼻水が止まらない。いとこからは鼻垂れとか言われた。

火葬中はビールを飲みながら、親戚だけで別の部屋で待った。
他の親戚は最後のお別れも済んで葬儀の時より少し明るくなっていたが、
自分はなかなか元に戻らない。おばさんにまたみんなを笑わして、
とか言われたけど、無理だった。。

50分ほどで火葬が終了し、ばあちゃんは骨だけに。。
人の死ははかないなと。。みんなで無言で骨を骨壷に収めた後、
再び葬儀場へ。

坊主のお経を30分ほどで終え、その後再び宴会で終了。
この日は悲しさをビールで紛らわしたね。今までに無いくらい
飲んだがあまり酔わない。

葬儀場をみんなで片付けて、いとこ、おばさんの住む実家へ移動。
自分は疲れと悲しみで元気がなく、静かにしていたい気持ちだったので、
11時頃、先に寝た。

次の朝は6時におきて、コンビニまで40分程歩いてたばこを買いに行った。
直方の町を歩いて、おやじやばあちゃんが住んでいた町を少し見てみようと
思いながら。。

いとこたちも自分達の住む家に戻っていく。
会社を辞めて実家に戻ってきたいとこ1人を残して皆解散。

自分たち家族も帰途につく。帰りは、おやじ・母・姉はおじさんの車で、
自分は、最後に残ったいとこの車で、直方駅へ。

自分は新大阪で降りて、こだまに乗り換え、米原で北陸本線へ乗り換え、
敦賀へ。悲しさ、さびしさはじわじわ深まるばかり。

親戚の中で自分だけ9年間もばあちゃんに会えなかったこと。
9年ぶりの再会が死に顔だったこと。悲しすぎる。
また、九州は遠すぎる。これ以降、こんな時しか九州の親戚に会えないのか
と思うとやるせない。

この9年間、余分なものは排除し、常に前を見て自分を追い込んで、
必死に生きてきたが、やはり間違えていたんではないかと。

1年前体を壊し、現在の会社に転職すると同時に、それまでの生き方を
変えようと心に誓ったばかりだが、ばあちゃんの死でその誓いをさらに
強くした。

これから30代も中盤に入っていく。両親、近親者、友人、知人を大切
にしながら、自分も大切にして生きて行きたい。

まずは、32歳までにツケとして残した悪いところを直し、新しい職場に
もっと慣れ、嫁さんも探したい。
 

 投稿者:tera  投稿日:2010年 8月 4日(水)22時22分2秒
返信・引用
  おやじの電話をきった後、職場の人間とコンタクトを試みた。

まず、現場事務所のグループ長へ電話。が、留守電。10分後かけ直しても
やはり留守電。仕方なく、月曜、火曜を休む旨伝言メッセージを残しておいた。

次に、今自分と同じ職場に来ている年下の同僚に電話で、横浜の職場の
グループ長の連絡先を教えてもらおうと連絡。が、こちらも留守電に。
仕方なく、メールで事情を伝え、グループ長の連絡先を教えてもらうよう
依頼。

次に、宿泊先が同じ、現場事務所の所長に直接会って事情を伝えるべく、
ホテルの受付で部屋番号を聞いて、直接コンタクトを試みたが不在の様子。

困った。。1時間後に再度おやじに電話して、上にはまだ全くコンタクトが
取れていないが、とりあえず日曜の午後から九州に向かうと返事した。
この後、12時過ぎに、現場のグループ長から電話が来て、月曜、火曜を
休む許可を貰った。

朝6前に目が覚め、もんもんとしていた。まだばあちゃんが死んだという実感
がほとんど沸いてこない。それよりも、午後から九州に向かう実感さえまだ
沸いていない。朝から忙しくなるなという覚悟だけがあった。

朝9時までは何も出来ずもんもんとするばかりだったので、とりあえず
ガストへいって腹ごしらえ。モーニングセットを注文。
帰り際の9時27分頃に百貨店に行ったが、開店はどうやら9時30分
のようでまだ開いていない。昨日から風呂も入ってないし、ソックスはいて
ないしで、喪服の試着時に困りそうなので、いったんホテルに戻った。

横浜のグループ長の連絡先が判明したので、ホテルに戻って電話し、許可を
貰った。また、祖父母の場合、特に会社の手続きは無く、忌引より有給休暇
を使って休んだ方がいいということだった。
これで会社を休むことに関してはすべてクリアとなった。
シャワーを浴び、ソックスをはいて、10時過ぎに再び百貨店へ。

3階にスーツ売り場を見つけ、喪服もあったので2着を試着し、即決。
2万7800円。その他、黒ネクタイを購入。袖直しに1時間かかる
とのことなので、その間に4階の100円ショップで香典袋と、香典を
包むための風呂敷を探した。運良くその2点があったので買った。

裾直しが完了するまでまだ時間があったので、再度ホテルに戻った。
あとは喪服を取りに行って、仕度して出るだけになったので少し安心した
とたん、疲労が襲ってきたので、ベッドで横になった。

少し寝てしまったおかげで、スーツを取りに行ったのは、2時間後の13時前。
ちょっとヤベーとか思いつつ、再びホテルに戻って着替え、必要なものをバック
に詰め込んで、ホテルを出たのが14時40分過ぎ。
予定より1時間以上遅れている。。

15時前に敦賀駅に着いて切符を買いに緑の窓口へ行くと、結構客が
並んでいる。しかも、どの窓口も対応に四苦八苦している。。
おかしいなと思いつつ、いらいらして待ちながら自分に順番が来た。
そこで、原因が判明。人身事故で北陸本線のダイヤが乱れているとのこと。
さらに30分以上遅れて、15時40分過ぎに敦賀発となってしまった。。

米原から新幹線に乗ることにしたが、何時に米原に着けるかわからないので
新幹線は自由席を購入した。携帯で直方の到着時刻を調べると、21時を
回ってしまう可能性があったのでその旨おやじにメールしておいた。

結局、電車に乗ってからは順調で、米原で3分の乗り継ぎでこだまに乗る
ことに成功して、新大阪でのぞみに乗り継ぎ、小倉へ向かった。
これだと直方まで20時23分の到着予定。その後も順調で、予定通り
直方に到着。

予定到着時間をおやじに連絡しておいたので、直方に着いたらおばさんと
いとこ、姉が既に車で待っていてくれた。そのまま葬儀場へ直行。
すでに通夜は終わり、親戚みんなでばあちゃんの棺の置いてある部屋で
飲んでいた。

ばあちゃんに線香を上げて、自分も参加。
心の中で、自分だけまたやっちまったなーと思う。
自分を除いて親戚は皆、通夜に間に合ったというのに。。
 

7月31日の夜、

 投稿者:tera  投稿日:2010年 8月 4日(水)21時35分42秒
返信・引用
  九州のばぁちゃんが亡くなった。96歳。

今は、福●の●賀で3ヶ月の予定で7月5日から実習で来ている。
7月3日の土曜日にこちらに来て、7月5日月曜から勤務スタート。

わからない事だらけの毎日で1ヶ月近くが経過し、四苦八苦しながら、
少しずつ慣れていっている最中での出来事だった。

7月31日はこちらに来て初の土曜日出勤だった。
要領書作成の進捗が良くなく、この日は現場にいかずに事務所でガンガン
要領書を書いていた。定時後も続けたかったが、土曜は残業バスが無いと
グループ長から聞いたので、仕方なしに定時で切り上げ、5時のバスに
乗り、5時45分に歯医者へ行き、6時15分に歯医者を出てコンビニへ
行き、夜飯を買って6時40分頃に宿泊先のホテルに戻った。

今前歯の根っこの治療中でその日も治療後に仮歯をつけたばかりで、
30分は食事しないでくださいとの事だったので、6時45分頃まで
待って弁当を食べ始めた。
7時頃には食べ終わり、おやつのあんドーナッツを食いながらベット上で
携帯でネットを見ていた8時24分頃、オヤジから電話があった。

ばあちゃんが危ないとのこと。ちょうど一週間前におやじから電話があった
が、その時は職場の大先輩にピアノバーに連れて行ってもらっている最中
だったので出なかった。
出勤中もすぐ連絡がつけられるようにしてくれ、とのことだったので、
横浜の職場の連絡先を伝え、そこから現地の事務所へ連絡を入れても
らうようにした。

が、ちょうどその30分後の8時54分に再びおやじから電話が。。
亡くなったとのこと。おやじもその時静岡にいたので、九州の実家から
経過の連絡を受けていたのだろう。

この時、会社を休む手続きや、喪服等の葬儀参加への仕度などをどうし
ようかということばかりで、ばあちゃんが死んだという実感は全く無かった。
 

今日は、

 投稿者:tera  投稿日:2010年 6月14日(月)21時03分1秒
返信・引用
  会社でキレそうになった。。
我慢したけど。

ここ1~2年、怒りやイライラを表に出してしまうように
なっていたので、ここで一度謙虚な自分に戻ろうと少し前に
決めていた。職場も変わったことだし。だから自分の為にも
我慢した。

今日、会社で証明写真を撮ってもらおうとある部署に向かった
のだが、自分で一般の店を探して撮ってもらうので結構だと断った。
理由は、立替払いだと領収書発行に数日要するのと、撮影する人
の対応があり得ないほどフテブテしかったこと。

建前上、領収書発行手続きが面倒そうなので、と断ったが
それより目の前であり得ない対応をされた事が許し難かった
というのが本音。

よく我慢した。。あそこでキレても良い事無いしね。
苦情も言わなくて正解だった。なぜなら、普通の写真屋さん
より3分の2の値段だったからw
これで京浜在籍だったら領収書も面倒臭いことにならないので、
あの対応でもお願いする価値はあったね。

しかし我慢した分、ストレス溜まったな。それ以降、心の中で
イライラしっぱなし。

キレなかったことは良かったが、自分の中でのストレス対処が
出来て無いな。こんな些細なことで何故自分はイライラするのか?
これだといずれ爆発しかねないので、対処については別途考えな
くてはならない。
 

危険物取扱・・・

 投稿者:tera  投稿日:2010年 6月14日(月)01時54分25秒
返信・引用
  乙3を東海大学で今日受験してきた。
ん~、微妙。。手ごたえなし。
さすがに舐め過ぎたかな。

確信持って回答  ・・・3割
カンを頼りに回答 ・・・5割
全く見当付かず  ・・・2割
合格ライン各科目で6割以上

どんなに良くても合格ラインギリギリ。
あの勉強の仕方であれば、その倍の時間は必要だったかな。

実は、先週も教育で本社に2日いたのだが、金曜の本社教育終了後、
誘惑に負けて本社勤務のメス達と終電まで飲んじゃいました。。
お陰で土曜は殆ど勉強する気が起こらず。。
昨日の一夜漬けに賭けるも2時間で撃沈。。

飲み会の方はちょっと収穫があって良かったのですがw
肝心の資格がダメでは意味無いですな。

まぁ無目的に誘惑に負けたんではなく、過去10年間の仕事&プライベート
のバランスを変えるべく、今のうちに思い切って行動パターンを変えてい
るということがあって。。

今までと同じ事をして無理矢理結果を出しても苦しくなるだけなので、
色々と反省点が出てきたが、前進していると思いたい。

さて、乙3は試験の頻度が少ないのと、暗記が面倒なので、

→毎月のように開催される乙4試験に合格
→物理化学と法規の科目免除で乙3再受験

というステップで望もうと思う。金が受験料+登録料合わせて
6000円くらい余分にかかるが、この方が楽。無駄な暗記時間
を金で買ったと思えばこれでもお釣りが来るだろう。

会社の方は、先週までで1~2年目の必須教育を大方受講した
筈なので少しは実習に集中できそうだが、工場での実習も残り
半月。。
まだ半月あれば工夫次第で色々出来ると思うので、無駄な時間を
極力使わないようにしたい。

先月から治療中の歯もあと1~2回で完了しそうな気配。
他の歯は、三人寄れば(ry)に行ってからかな。虫歯多すぎです。

いろいろやる事多すぎだが、毎日、自分が間違いなく前進して
いれば良しとします。
 

昨日は、

 投稿者:tera  投稿日:2010年 6月12日(土)12時22分31秒
返信・引用
  キャリア採用同期と本社付近で飲み。
タメ年2人の女の子と、2コ下の工場勤務の男1人と自分の計4人。
趣旨は、1人の女の子の世界一周出張の壮行会ということで。

教育で本社によった際に飲もうといってたのだが、
最近いろんな予定が入ってきて少し疲れ気味だったのもあって、
飲む気も起こらず、本社で教育があっても特に自分から連絡せず
そのまま帰っていた。

さて、飲み会は結構楽しかったな。
同期とはあまり気を使わなくていいし、ぶっちゃけ話できる
のがいい。実は、職場の若手飲み会をキャンセルしての参加
だったが、これで結果的には良かったかなと。

今度、同期で盆休みに富士山へ行こうということになったので、
ちゃんと行ける様に計画しよう。まぁ、自分が夏に行くサイト
次第な面が多々あるが。。。

さて、明日は危険物の試験。場所は東海大学。
殆ど準備できてないので、これから追い込みかけないと。
 

さて、最後にプラス思考

 投稿者:tera  投稿日:2010年 6月11日(金)01時08分52秒
返信・引用
  昨日、今日出来たこと。

会議のセットアップ準備対応は早かった。
他人の協力が不可欠だったが、すぐに行動して、なんとか
段取り開始までの流れが出来た。
作業現場からの返信が予定通り来るか心配なので、来週前半に
必ずしてもらうようにフォローすればひとまず大丈夫だろう。

過去3ヶ月以上溜め込んでいた郵便受けのボックスをきれい
に整理した。これによって、自分のやってなかったことを今までより
早く把握できた。まだ手遅れではない。良かった。

少し前から不安だけで何も行動しなかった特許提案関係で、
元職場の上長や、現職場の年配の方に相談したことで、先が
少し見えてきて少しスッキリ。

7月からの職場の宿泊場所を、ただちに確保。
これも少し前から不安だったが、最悪の事態になる前に
即行動することで前に進んだ。
あとは、再確認と、経費支払い方法、PC送付段取りを
元職場の庶務に相談すること。


良い点も幾つか出てきている。
全体としてよい方向に向いてはいるので、あとは昨日/今日判明した
ようなことを起こす確率を減らしていけばよいだけ。

それには、自分の状態をこまめに振り返ること。
何より、自分と向き合うことから逃げていたのが原因なのかも。
 

で、現状は、

 投稿者:tera  投稿日:2010年 6月11日(金)00時54分26秒
返信・引用
  ○自分の状態
・仕事
 図面作成と、IEC、教育等に負われて時間が足らない。
 →図面作成の仕事を軽減してもらうように何らかの形でJLに依頼すべし

・体調面
 試験準備による寝不足、最近の残業等で疲労感あり。
 試験準備は仕方ないが、研修先の仕事(主に図面作成)では、
 間に合わないものは、ある程度流す、あるいは拙速の対応で、
 労働時間削減を。

・精神面
 昨日とは違って、今日のことで少し悪い。
 今この時点で悩んでも仕方ない。悩むだけで何も行動しないはムダ。
 反省したら引きずるな。

○目的意識
 そもそも今は、機器設計の研修に来ている。図面作成が目的ではない。
 ・現場に出て加工/溶接の技術に触れる
 ・設計ノウハウを身に着ける
 ・人脈を作る

 これらが重要。上記3つをこれから達成するには。
 ・現場に出て作業員と話をする
 ・過去にR&Dで検討した図書を見る

あとは、よく考えずに盲目的に人の言いなりになるな、ということ。
 

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